yuzuhaっす~ 今回はちょっと真面目なことを書いてみます。
17日で、あの震災から11年経ちました。
10年ひと昔というけれど、当時の記憶は忘れないもので。
ベッドにしがみついてないと振り落とされそうになる強烈な揺れ。
家具は倒れなかったけれど、物の散乱した自分の部屋。
停電の中、携帯ラジオの声で、よく分からないけどとてつもないことが起こったという不安。
次はいつ食べられるか分からないかも、と無理矢理お腹に詰め込んだ生の食パン。
10時過ぎに停電が復旧しTVに映った光景を見たときの、なんやこれっ!という叫びと呆然。
うちだけ連絡が取れなかったため、最悪の道路状況の中を山のように食べ物を持って駆けつけてくれた親戚。
あの、日常あって当たり前と思っていたものが突然消えてなくなった感覚は、きっと忘れないでしょう。
されど、10年ひと昔というように、去年が一区切りとなって世の中では震災は「昔の出来事」に分類されたように感じます。
報道でも数十秒のニュースや新聞地方面に1枚写真が載った程度。ネットを見てみても特に言及しているところも少なく。毎年12月に行われている鎮魂を謳ったイベントも、去年は来場者数が減少したとか。
あれからも新潟をはじめ各地で地震があったり台風被害や今年の大雪のように被害が現在進行中の災害がありますし、11年も前のことをそうそう言ってられないのかな。
街中を歩いてみても11年前に瓦礫の山になったなんて思える箇所なんてありませんし、某駅北側は雰囲気変わったと思いますが、街が出来上がってます。
実は代替バスを乗り継ぐために今の仕事場のすぐ側を歩いたはずなんですが、当時と風景が違いすぎてどこをどう歩いたのか分からなかったり。
けれど、「昔の出来事」に分類して忘れてはいけないものもありますよね。
混乱の中で大活躍したボランティア、そして全国からの救援。
ボランティアってすごい、助け合いってすごい!と実感しました。助けてくれる人がいるということがいかに励まされるか。1人が差しのべたものがちょっとした小さなものでも、被災地に届いたときにはどれだけ大きなものになっているか!
また、日本の安全神話は幻想だったこと。
倒壊・半壊したビルや高架を調べてみると不良建築で耐震強度が不足していた、なんてことが続々と出てきて問題になりました。某駅前では建築主とトラブったまま未だに放置されてる廃墟ビルもあります。
今問題になっている姉歯関連なんて、まさしく忘却を体現しているようです。
そして、命の大切さ。
命があるだけめっけもの。
エラそうなことをつらつらと書いてしまいましたが、震災がひとつの出来事として忘れられていくのは避けられないんだろうけど、それによって得たもの、日々しっかり生きていくこと、困ったことに遭った時声を掛け合い、助け合うことの大切さは身に付けていきたいなと思います。
とはいっても、FF11でいきなり「困ってるからギルくれ!」なんてTelきても即BL突っ込んでスルーしますがねっ!w